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こどものころ、記憶のなかの風景にあれは戦争のすぐあとだったんだというなんとも切ない記憶がある。 ぼくは戦後、疎開先の魚津で生まれその後すぐ大阪に移った。
両親は日本橋で古着の呉服で商いをしていた。 活発だった僕は商店街を天真爛漫に駆け回っていた。 商店街の外れに塀で囲われた空き地があった。 屋根が抜けた廃屋があり、地面には穴ぼこが所々空き、瓦礫があちこちに散乱していた。 子供にとっては格好の遊び場であった。 鉄骨置き場としても使われていて片隅に蒸気機関車があった。 これが後になって解ったのだが、アメリカ製でケーシー・ジョーンズ号という名前だったのだ。 ケーシー・ジョーンズは黒人の機関士の英雄でアメリカのブルースやフォークソングにその名が登場するくらい有名。MissisippiJohnHeartは「ケーシー・ジョーンズ」を唄っている。
トンネル遊びで空き地の地面を掘っていたある日、あまりに夢中に掘り過ぎ、周りに誰もいなくなったその時。 地面からなにやらじわじわと黒い水が沸き出してきた。 見る見るうちに黒い水が澄んだ水に変わり、興奮した僕は家に帰り母にとうとう泉を堀りあてたと報告した。 近所の人がどれどれと僕に付いてその泉まで来てくれた。 「幸ちゃん、えらいことしたな」「これ水道管か下水管を壊したんちゃうか!」。 家に帰ると親父が待ち受けていた・・・・。
そのころ春日八郎の「お富さん」という歌が流行っていた。 同級生の中にはよく休む子がいて、楽しい遠足にも来なかった。 給食のパンを届けにその子の家に行くと、その家は公園の片隅にある掘っ立て小屋だった。 こどもなりにその子の事情は理解できた。
商店街に知的障害者の女の人が時々ふらりとやってくる。 彼女は人気者でみんなに「お富さん」と呼ばれ愛されていた。 ボロボロの衣服をまとい、いつも大きな声で「お富さん」を唄うのだ。 近所のみんなが御飯や衣服を帰りに包んで持たせていた。死んだのかなと思う位長い間来なかったり、と思うといきなり赤ちゃんを背負ってやってきたり。 みんなはそれでも「お富さんうとうてや」とせがむ。大きな声を張り上げて彼女は唄う。
ぼくのこどものころは本当に平和な時代だった。
涙がでるくらい切なくて愛おしい時代だったと思う。
でも、その背景には、ほんのすこしまえに戦争があったということを忘れない。