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今年も宵宵山コンサートが行われた。チケットの売れ行きが悪いと聞いていた。リハーサルをしていると時々雨が降ったりした。開場してから客席を見ると両翼に空席が目立つ。昨日のリハーサルに参加できなかったベースの河合君を加え、高石さんのリハーサルとサウンドチェックがはじまった。河合君は僕と同じラストショウのメンバーでもあり、だいぶ前になるがこのコンサートにラストショウとして参加したことがある。まだ七人の会という組織がこのコンサートを運営していたころだ。今でも憶えているが七人の会のメンバーのひとりが僕らに「このコンサートは他のコンサートとは違う、お客さんの目は肥えている、だからけっして手を抜かないように」というような意味のことを言った。僕らは今まで一度も手なんか抜いたことも無かった。他のコンサートとは違うんだというプライドが、この時とてもごう慢なプライドに感じられた。何年か後、その会は解散し、このコンサートは休止した。そのご、復活したころ、僕は高石さんのサポートに参加したのだ。
雨上がりの蒸し暑い昼下がり、コンサートは例の如く各界から選ばれた人たちがステージに立っていた。楽屋に貼られた進行表に終了したプログラムが消されて行く。自分のなかで何かが終わったような気がした。
打ち上げの後、飲んべえの河合君と一緒に行きつけのお店に繰り出した。京都の若い音楽仲間がいっぱい来ていた。その中にかわいい少女がひとりいた。友だちが紹介してくれた。「坂庭さんの娘さんです」。ぼくはあっけにとられてぽかんとしていた。
くりくりした目、愛くるしい笑顔・・・・・こんな宝物を残していたんや。うっと思わず涙が溢れそうだったが、誰にも気付かれなかった。河合君が横でテキーラをぐいぐい飲み干している、なんだかほんわか幸せな気持ちになった。
ヒポポのそばのリーズナブルなホテルを出て京都へ向かった。あさって行われる宵宵山コンサート高石ともやさんのリハーサルがある。京都はくそ暑いのだ。かんかん照りの道をバッグと自分をひきづりながらスタジオまで歩いた。宵宵山初出演の小林啓子さんが来ていて「比叡おろし」といううたのサポートをした。横で高石さんがあれこれ彼女の歌い方に注文をつける。コンサートの流れのなか重要な出番でこの歌が唄われるので、という考えらしい。しかし、好きなように唄わせてあげたらいいのにと僕は思った。構成のために歌があるのではなく、歌があってこそコンサートが構成されていくんだと思う。コンサートを運んで行くのは永六輔さんがいる。この日のリハはいつもの曲なので確認して終わり。僕はアメイジンググレイスを吹くようにと指示があった。当日三人の人がこの曲をやるらしい・・・・・・。
リハーサルが終わり僕はまた大阪へトンボ帰り。梅田兎我野町のスナックでなにやら怪しいイベントがあるらしく友人から誘われたのだ。兎我野町は昔URCレコードがあった場所でいかがわしい風俗店がいっぱい並んでいる。そして僕が中川イサト、金延幸子、妹尾一三らとグループ「愚」で通っていた町でもある。雑居ビルの中にその潰れかけているスナックがあった。ヒポポといい勝負の狭さ。若い男の子がギターの弾き語りをやっていた。そうこうしているとお客さんがちょぼちょぼと。70年代フォーク評論家や風俗評論家、スタンダップコメディアン、よく解らない謎の女の子のパフォーマンスなど大阪パワーを久しぶりに堪能した。やっぱり兎我野町はいまでもアングラなのだ。僕はもちろんひとりでハーモニカを吹いた。若手の男の歌手と一緒にFly me to the moonを演奏したがこの子が良かった。それから、内モンゴルから留学で来日中の馬頭琴奏者の太平(タイピン)君とはじめてセッションした。これがまた素晴らしかった。インスパイアーされてしまった。瞬間、新曲のイメージが出来てしまったくらい。タイピン君は横浜に移るらしいので早速コンタクトをとる段取りをしておいた。もっと、この店に居たかった。ここには力がみなぎっていた。
明日はあさから宵宵山なので京都に戻ることにした。
大阪にやってきた。夏本番、かなり暑い。荷物をだいぶ減らしてもやっぱりヘビー。電車の乗り降りの際にはとにかくエスカレーターかエレベーターを探す。今回はギターもあるし・・・。新幹線で新大阪で降り、大阪駅まで行きそこから環状線で西九条駅へ。そこからUFJではなくUSJ行きの電車に乗り換え一つ目の安治川口駅で降りるとわれらのヒポポタマスがある。がらんと倉庫街が並んでいて殺風景だけど僕はこんなんが好き。5分ほど歩くと横町を左に見ると、八百屋のような軒先が見えたらそこがヒポポだ。小さいスペースのどうってことない貧弱なライブハウスだ。しかし、これだけ歌い手やミュージシャンの皆から愛されているライブハウスは他には無い。ぼくは70年代初頭大阪なんばにあった「ディラン」という店を思いだす。めちゃくちゃ狭い喫茶店にいろんなジャンルの若者が集まっていたことを。ヒポポの魅力はマスターである大王の人柄に秘密がある。表裏の無い性格、手厳しい批評、いつもおもろいのだ。ここでしかできないライブの雰囲気がある。今日も先日の八鹿と香住で世話になったマンドリンの宮崎くんとギターのカズアキくんに手伝ってもらってここでライブができる。幸せな一日が過ごせるのは間違いない。
カルメンマキのCD「Another Way」発売記念ライブに参加するため曙橋のBACK IN TOWNに行った。サポートはギターの丸山さん、ベースの松永さん。ぼくはゲストで呼んで戴いた。「Another Way」では西岡恭蔵ことゾウさん作の「アフリカの月」でハーモニカを吹いている。マキさんのうたは今まで聴くチャンスがなかったので今日は楽しみにしていた。第一部はギターとベースとマキさんの超アコースティックサウンド。びっくりしたのは声のでかさだ。さすがロックシンガーなんだなあと感心してしまった。「半分のこころ」や浅川マキの「かもめ」などがいい。印象に残ったのは寺山修二の「戦争は知らない」だ。これを聴いたら北山修の「戦争を知らない子供たち」がガキっぽく聴こえてしまう。カルメンマキのうたの世界には70年代の魂が今もしっかり息づいている。ライブが終わったあと次のライブにもお誘いを受け、ぜひとも参加したかったが、別の仕事が入っていた。正直言ってその別の仕事キャンセルしたかった。久しぶりに骨のあるシンガーと共演できたことが嬉しかった。