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先日、青梅市民文化会館で「大西ゆかりと新世界」のコンサートに行ってきた。家から山伝いにクルマで走ること30分。台風の影響で青梅も雨がちらほら。「大西ゆかりと新世界」の素晴らしさは故坂庭省悟君から教えてもらった。京都の「都雅都雅」で行われた八時間耐久ライブにもゲストで来ているのを見て僕もいっぺんにファンになってしまった。70年代の歌謡ポップスショーの雰囲気に、海原千里風ギャグが飛び交いそれはおもろいショーでした。それにカバー曲が無く、オリジナルで攻めて来るところが良い。それでいてどの曲もどこかで聴いたような錯覚を憶えてしまう。7分入りの客席はけっこう年齢層が高い。でも、大西ゆかりさんは持ち前のサービス精神旺盛なギャグでおっちゃんおばちゃんをどんどん引き込んで行く。関西芸人の性です。プロデューサーのA氏は古い友人。大阪の有名な「春一番」というコンサートの仕掛人でもある。60年代後半、天王寺野外音楽堂から始まった「春一番」を未だ続けているその精神力に頭が下がります。「これでヒット曲がでたらええねけどな」と一言僕につぶやいた。コンサートが終わり満たされた余韻の中、雨降る街道沿いを走るとレトロな映画の手書き看板がいくつも連なっていた。東京の一番はしっこで「大西ゆかりと新世界」。このミスマッチが絶妙な夜だった。
口伝えに楽器やうたが伝わるのが一番いいと思っている。こんな贅沢はないだろう。目の前でお手本が演奏しているのだから。 と思ったのは、前の「ひとりごと」に書いた映画「僕のスゥイング」でチャボロ・シュミットがトレーラー・ハウスの車内で少年にギターを教えるシーン。譜面は出てこない。弾いて見せ、口でああだこうだとアドバイスしていく。これはケルト音楽の場合もそうだった。ブルースもフォークも。大衆的な音学はシンプルな様式が多いので少しずつ憶えていけるのだ。ぼくもギターやベースをやりはじめたころは譜面も読めなくて、ただひたすらにレコードを聴きその感動した音楽を再現するようコピーをした。譜面に頼らず音の中に全神経を預けていくことってどれだけ大事なことか、自分の若かった頃を思い出し、そう確信する。感覚が大事なんや。「赤い鳥」時代に仲間のひとりとこのことで口論したことがあった。正確さ、ち密さなど大事な要素なのだが、それ以上にリズムが重要だと思う。リズムにはビートやグルーブなど重要な要素が含まれている。目の前でお手本を聴きそれを真似ていく時、譜面では書き表わされないことがある。
ポルトガルのテレビ番組で若い生徒がポルトガルギターの先生に習うシーンでも譜面を使っていなかった。 同じように邦楽でもお師匠はんについてうたいを覚えるのもそうだった。僕の育った路地裏でも毎晩口承音楽会があった。
指から弾ける弦の響き、やわらかな息遣い、悲しいビブラート、体を震わせ心の奥底から出てくる音。
テクニックなんてどうでもいいのだ。
日本の音楽に欠けているものがここにあると思う。
先日ブルーノート東京にJames Cottonを観に出かけた。会場で八木君と会う。Cotton予想はしていたがやっぱり歳いったな。こう頭ガンの手術後元気にカムバックして嬉しいが、もうヴォーカルはとらないので寂しい。ひたすらハーモニカを吹くがしんどさが伝わってきてなんだか辛かった。力は無くなっても音色は失せないと思った。ひと吹きすればCotton節は健在。はじめて見たんだろうと思われる若いお客さんには伝説のブルースマンがそこにいるだけで満足なんだろうな。でもそんなに騒ぐほどいいかな、今日のこのステージ。ボクはうしろの若いバンドばかり観てしまった。帰りがけに八木君も「このバンド貸してくれないかな」。
前から有田君に薦められていたフランス映画「僕のスゥイング」のビデオを観た。ジャンゴギターのチャボロ・シュミットが出ていてバリバリ弾きまくるわそれはすごい。完全にノックアウトされました。途中おばあさんがひとりアカペラで唄うシーンも良かった。映画としてはもうひとつの出来だったがジプシーの生活感がよく描かれていて興味深かった。
ボクは富山県魚津市生まれ。すぐに兵庫県の山奥にある鈴蘭台に移る。幼稚園に上がる頃大阪の日本橋に移った。20歳すぎまでここで育った。大阪のどまんなか。昭和30年代の日本はなんと素晴らしかったか。近所にトランジスタラジオを売る店が増え、SONYとPANASONICの名前がかっこ良かった。テレビはまだ家庭に無かった。ボクは夢のような自由で楽しい小学校生活を送った。高度成長期に入ると、家業も景気が良くなり親父は朝も夜も働きまくっていた。受験地獄という今までなかった言葉にボクは押しつぶされそうだった。もっと遊びたかった。 このまま大人にならない方法はないのか。結局金持ちの商売人の息子たちが通うカトリック系の中学校に入れられる。フランスのマリア会が経営する学校で、厳格な校則に早くもドロップアウト。ここで美しいと思ったのはは大理石の教会とグレゴリア聖歌だけ。そんなわけで遅刻欠席は多い、成績は悪いとくる。持ち上がりの高校も4年も行った。野球少年から転落。こんなとき音楽に出会った。中学校でエルビス・プレスリー、フランク・シナトラ、サミーディビス・ジュニア、高校でベンチャーズ、ビーチボーイズ、ビートルズ。なんとか大学に入学したがもんもんとしていた。そんななか深夜のラジオから変な声のうたが延々と流れていたが、しだいに引き込まれて行った。その声の主はボブ・ディランというフォークシンガーだった。曲は「Like a rollingstone」。その日から兄のギターを借りハーモニカをくわえて練習した。
この日本橋の長屋の片隅で・・・・
数年後同じような音楽友だちに大阪、神戸、京都で出会うことになる。