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朝、西宮の旅館を出発。今日は大雨だ。それに、クーラーかけっぱなしで寝てしまったので朝から声が変。また風邪を引いたのか。そのまま、電車で大阪へ向かった。尾崎さんと僕は居残り、他のメンバーは東京へ。途中車中から尼崎の工場地帯を観ていると、ロッキャン時代にこの辺りでお弁当屋の配送のアルバイトをしていたことを思い出す。この辺りの大きな工場の中には、小さな工場がまたいっぱいあって、そういうところにお昼になるとお弁当を配達していた。薄暗い工場に入ると、黙々と作業をしている同年代の若者が何人かいた。僕らと違う社会の存在をこのとき知った。神崎川を渡り電車は梅田に着いた。尾崎さんは大阪見物でフリータイム。
ぼくはそのまま日本橋の実家へ行った。実家は昔から古着の商いをしている。母はもう90才を越えているが食欲も旺盛で元気だ。商いの方は、この辺り軒並み不景気。戦前は日本橋界隈は古本屋が多かったらしい、戦後は電器屋街で賑わっていたが、バブル以降はシャッターが下りる店も多い。現在はオタクの徘徊する町である。帰る度に、自分の育った町が目まぐるしく変ぼうしていく。なんだか大阪に余裕が感じられないのだ。もっとおっとりしていたのに。帰りに日本橋四丁目の交叉点、堺筋に出てみた。小学校に通っていた頃、ここに市電が走っていた。道路の縁に座って、社会の勉強で市電や自動車が何台通るかグラフにして提出し、珍しくわんぱくが誉められたのを今でも憶えている。