アリのひとりごと

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Eric Andersen

9/3、4と狭山で開催されるハイドパーク・ミュージック・フェスティバルが間近になった。スタッフサイトの掲示板を覗いていると、彼等の悲鳴が聴こえてくるようだ。地元の素人の人たちが、仕事の時間をやり繰りしながら、ここまで漕ぎ着けたのだ。頭が下がる思いで感謝。そんな中、両日のプログラムを受け取って、これは30年前の狭山ハウスの同窓会そのものである。ラストショウの初代ドラマーの尾口たけし君も秋田から参加する。そして、今日、Eric Andersenのリハーサルが東京で行われた。サポートは我らラストショウである。前もって資料を貰っていて、一応CDを参考に我々は準備していた。そうこうする内にEricが現れた。黒ずくめのダンディな服、長身で60才にしては若い。髪は短くなっていたが、あのEricだ。温厚で、うたのイメージどおりの人物。12曲をたっぷり時間をかけて練習した。アレンジもCDから離れ、自由にセッションできた。途中彼の口から「このままライブのCDが作れるね」とこぼれた。なんだか、いいコンサートになりそうな予感がして来た。
僕らは、あの30年前狭山でつくった歌を、同じ場所で唄うのだ。感無量である。

投稿日 : 2005年08月30日 17:54 個別ページ表示

24時間テレビ

今日は横浜のランドマークスタジオにて録音。おっ、今日は西海君が既にブースに入っていた。マーチン、ローデン、テイラー等とガットギター2本に囲まれて神妙に仕事していた。アレンジは羽毛ちゃん。前回もここのスタジオでTVドラマ「瑠璃の島」の劇伴をやったが、今回は日テレの24時間テレビの中のドラマ「小さな運転士〜最後の夢」という2時間ドラマの劇伴だ。8/27 生放送で予定では9:15pmとマネージャーが言っていた。今日は10穴とクロマチックを使用した。特にクロマチックを使った曲のキーがDbで、非常に吹き易いキー。ヘッドフォンから聴こえてくる自分の音がとても美しい。目の前にあるマイクはAKG。今日の録音で改めてクロマチックハーモニカの良さを痛感した。もう一度、勉強してみようという気持ちがむくむく。小学校の時、ずっと吹いていたしな。これ。
来る青山マンダラの再会を確認して、羽毛ちゃんと別れた。

投稿日 : 2005年08月13日 17:53 個別ページ表示

勇気が欲しい

先日、運転免許停止処分の講習で、朝から夕方までみっちり講習を受けて来た。30日間の停止処分。この間もここに来たばかり、のイケナイ常習犯ドライバーである。
しかし、この教習所ってところ、殺風景な教室、廊下、まずい食堂、みんなウナダレて犯罪人のようで生気が無い。最後に試験がある。だから講習をしっかり聴かないとわからんよ。と講師がいうが。試験は常識的な問題が多いのでいつも全員パスだ。隣に座った子は、うちの息子と同じ位の年令。この子がよく居眠りをする。早速講師が目を付けてしまった。この講師が威圧感まるだしの川上元巨人軍監督そっくり。その川上監督の獲物をあさるその目は、どこかで観たぞ。ああ、わが中学、高校の教師の目だ。そして、すやすや眠るとなりの子めがけて襲い掛かって来たので、となりの子を小突いてやった。危機一髪なんとか乗り越えたが、その後何度も注意を受けていた。しかし、この川上、最低な講師であった。この日、講習者のなかにベトナム人らしき外国人がいた。彼も日本人たちと一緒に講習を受け、試験も受けた。日本語は少し出来るらしい。しかし、何故か講師はポルトガル語の問題用紙を用意していた。制限時間を過ぎても彼はまだ問題と格闘していた。講師はいらだつように、彼の傍へ行き、講習でちゃんと聴いていたら問題が出来るはずだ、と宣う。で、私が読んで聞かせるからと、読みはじめるが、苛立っているので読むスピードが早すぎる。(俺が代わってゆっくりよんでやりたい。)
川上よ、お前がもしベトナムで同じ境遇になったら、答えられるのか。どこの外国語の問題集も用意できていると言っていたね。ベトナム語がなぜ無かったのかな。
とにかく、僕はベトナムの人が気の毒でしようがなかった。誰も話し掛けないし、誰も彼の立場に立ってあげない。見兼ねて、なんと切り出そうかと思案していると講師の同僚が入って来て、しばらく試験の様子を観たのち、下でゆっくりやらせようと彼を連れていった。 その後、全員試験にパスした。しかし、帰りの電車のなかで、アジア人に対しての差別を目の当たりにして、恐い国やと実感。なによりも恐いのは一緒にいた無関心だ。どうして彼を庇うことが出来なかったのか。自分の思いっきりというか、あそこでパッとひとこと言ってあげる勇気が欲しい。
みんな、おかしいなあ。君は西洋人と思ってるのか。どんなに西洋を気取っても君も同じアジア人やで。

投稿日 : 2005年08月12日 17:51 個別ページ表示

吉祥寺から狭山へ その1

埼玉県狭山市の稲荷山公園すぐ近くの米軍ハウスに引っ越したのは74年頃かな。その前まで吉祥寺に住んでいて、アーリータイムス・ストリングス・バンドが煮つまってしまい解散。僕は何だかせせこましい暮らしに飽き飽きしていた。その頃ちょくちょく「はちみつパイ」のベーシスト和田君の住む狭山のハウスを訪れていた。そこには、のちにラストショウを結成するギターのトクや、近所に住む初代ラストショウのドラマー尾口武も遊びに来ていた。みんなその頃独身で暇を持て余していたのか、しょっちゅう会っていた記憶がある。まだ自分のクルマも持っていなかったが、法政の大学に通っていたトクはもうクルマを持っていて、スバル1000という当時ではユニークなFF駆動に乗っていた。和田君はオーディオマニアで真空管アンプとデュアルのターンテーブル(懐かしい)にオルトフォンのカートリッジなんか付けて、僕らは大音量でデッドやヴァン・モリソン、チャック・レイニー、エリック・アンダースンを聴きながら、和田君の引立てコーヒーをごちそうになっていた。狭山は緑が多く、現在の稲荷山公園はハイドパークと呼ばれていた。その外れにハウスが多く点在していて、ハウスとハウスの境界には白い柵があり、ちゃんと四方が庭に囲まれている。どこのハウスにも壁際に灯油が入ったドラム缶があり煙突が出ている。大阪にも米軍ハウスはあった。小学生のころ浜寺公園海水浴場に水練学校があって、夏が来るとよく通った。駅から海に向かう道沿いに金網のフェンスに囲まれた進駐軍の家族が住むエリアがあったが、そこは別世界だった。映画でしか知らないアメリカの風景が。ある大きな一軒のハウスの2階の窓が開いていて、壁がグリーンに塗られていて、ドナルトダッグが飾られていた。広い庭の松の木にはタイヤのブランコもあった。
そんな、幼児体験を持っていた。
狭山に通うようになって間もなくして、吉祥寺で一緒に遊んでいた仲間の、石版版画家の友人が狭山に住む事になり、一緒に住まないかと誘われたので、すぐにその話に乗ることにした。大きなハウスだった。

投稿日 : 2005年08月01日 17:51 個別ページ表示

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