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埼玉県狭山市の稲荷山公園すぐ近くの米軍ハウスに引っ越したのは74年頃かな。その前まで吉祥寺に住んでいて、アーリータイムス・ストリングス・バンドが煮つまってしまい解散。僕は何だかせせこましい暮らしに飽き飽きしていた。その頃ちょくちょく「はちみつパイ」のベーシスト和田君の住む狭山のハウスを訪れていた。そこには、のちにラストショウを結成するギターのトクや、近所に住む初代ラストショウのドラマー尾口武も遊びに来ていた。みんなその頃独身で暇を持て余していたのか、しょっちゅう会っていた記憶がある。まだ自分のクルマも持っていなかったが、法政の大学に通っていたトクはもうクルマを持っていて、スバル1000という当時ではユニークなFF駆動に乗っていた。和田君はオーディオマニアで真空管アンプとデュアルのターンテーブル(懐かしい)にオルトフォンのカートリッジなんか付けて、僕らは大音量でデッドやヴァン・モリソン、チャック・レイニー、エリック・アンダースンを聴きながら、和田君の引立てコーヒーをごちそうになっていた。狭山は緑が多く、現在の稲荷山公園はハイドパークと呼ばれていた。その外れにハウスが多く点在していて、ハウスとハウスの境界には白い柵があり、ちゃんと四方が庭に囲まれている。どこのハウスにも壁際に灯油が入ったドラム缶があり煙突が出ている。大阪にも米軍ハウスはあった。小学生のころ浜寺公園海水浴場に水練学校があって、夏が来るとよく通った。駅から海に向かう道沿いに金網のフェンスに囲まれた進駐軍の家族が住むエリアがあったが、そこは別世界だった。映画でしか知らないアメリカの風景が。ある大きな一軒のハウスの2階の窓が開いていて、壁がグリーンに塗られていて、ドナルトダッグが飾られていた。広い庭の松の木にはタイヤのブランコもあった。
そんな、幼児体験を持っていた。
狭山に通うようになって間もなくして、吉祥寺で一緒に遊んでいた仲間の、石版版画家の友人が狭山に住む事になり、一緒に住まないかと誘われたので、すぐにその話に乗ることにした。大きなハウスだった。