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若林くんは皆からウディと呼ばれていた。もうずいぶん昔のこと。70年はじめの吉祥寺に「武蔵野たんぽぽ団」というグループがあってとても人気があった。僕はそのころアーリータイムスストリングバンドから誘われ大阪から吉祥寺に越してきたばかり。 「武蔵野たんぽぽ団」には高田渡氏もいた。シバもいた。ウディはジェシー・フラーの「サンフランシスコ湾ブルース」を日本語の歌詞で歌っていた。今気ずいたのだが、ハスキーな高音、渋い選曲と、お洒落なところは坂庭省吾とも似ているな。 僕はそのころ伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」を愛読していて、その本を見つけたウディも同好の趣味と分かり、にやり。 彼のアパートへ行くとマッチのコレクションが目を引いた。雑学の大家でもあった。渡ちゃんによく冷やかされては、ウディも負けずと言い返していた。そのご、たんぽぽ団がうまく行かなくなり、アーリーハウスには、シバが来てはバンドの愚痴をこぼし、ウディも来ては愚痴をこぼすようになりそのうちとうとう解散してしまった。そのご、ウディは渋谷のパルコの鞄屋さんで働いたりしていたが、いつのまにか消息が解らなくなった。 ここ数年になって渡ちゃんやシバが山口に居るウディを訪ねたという話を聴かされ懐かしく思っていた。 いつかまた会いたいな。
四国から戻った日、よしだよしこちゃんから電話があった。ウディが亡くなった。ずっと奇病と闘っていたそうだ。音楽をやめてからは苦労の連続だったらしい。でも、いつか良くなってまた歌うんだとよしこちゃんに言っていた。 「サンフランシスコ湾ブルース」は僕も時々歌う。
ウディのあのひょうひょうとした歌がもういちど聴きたかった。
いまごろあちらで渡氏とふたりで「天国たんぽぽ団」でも結成し、喧嘩しながらも仲良く歌ってるやろな。
合掌
今日は雨だ。大阪の春一も今日が楽日だ。楽日の雨は気合いでしのげるよ。
夕方、オフィスケンの松井さんから急なCM録音の依頼。いつだってCMは急です。7時に恵比寿のスタジオまで来いと。帰省が始っているので早めに出発。二時間が一時間半で到着してしまった。ものは童謡の「ピクニック」のメロを吹くのだが、僕はちゃんと知らなかったので制作の人に教えてもらう。カラオケは出来ていて、ボー・ディドリー風リズムのエレキギターがガンガン鳴っているロックバージョンだ。マイクをアンプにぶちこんで一時間、いろんなパターンを録音した。他にも、既にボーカルバージョン、エレキバージョンなど録音していたらしい。そのご、クライアントが来て絵に音楽をあて編集していた。オダ・ユージが出ていた。何パターンか流れるらしいがハーモニカバージョンは流れるのか。ああコシがギクッ痛いぞ。
1972年の第二回春一番コンサートではじめて人前で自分の作ったうたを歌った。「かわいいあの娘に」と、今井裕のピアノをフィーチャーしたブギーウギの2曲。ひょっとしてもう一曲あったような・・・・。今井君はその後東京に行き「サディスティックミカバンド」で活躍する。その時の春一番コンサートは録音され10枚組のLPを出演者とスタッフにだけ配られた。(今月CDになって発売された) あれから34年が経ち今回の春一番に僕は自分名義で出演したが、前と違うのはハーモニカ奏者としてであった。プロデューサーの福岡風太は「かわいいあの娘に」を歌うように注文していたが、僕はハーモニカ奏者としての現在の自分で参加した。初日の4日は「中川イサトと武蔵野レビュー」の括りの中に僕のステージがあった。これは当日知った。出番の時間も前日知った。出演者もフォーク系の人たちが多い。演奏終了後、よしだよしこさんが僕のところに来て「春一らしくない感じやったね」と。そう、そのとおり。春一らしい演奏ってあんのんか。
僕らは前日入りしていた。サウンドチェックが出来るということで夕方大阪に着き、会場に向かったがサウンドチェックは六時半で終了していた。風太に一応抗議する。西海君が小坂忠さんから飲みに来ないかと誘われたので僕も合流。そんなことがいろいろ。当日は当然同窓会みたい、そして親戚も来ていたしあちこち動き回る。終了後、打ち上げでミナミへ荷物を持って繰り出す。実家に泊まる予定が母の都合で断られる。ホテルがなかなかとれずに困っていたが、ピックワンの千秋ちゃんがリザーブ成功。いつもいつも千秋ちゃん感謝。翌日は実家に行く。母は増々耳が遠くなり小さくなっていた。その後埼玉に帰宅。荷を解いている最中にぎっくりがまたやってきた。あの重い荷物を持ってキタからミナミ行ったり来たりしていたからな。