アリのひとりごと

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CMからリハーサルへ

今日は午前中に世田谷でCM。アメリカンホームダイレクト。曲調はフォークソング。アメリカ人の歌手が唄っていてその間奏、後奏を吹く。アレンジャーは南さんという若い人、前にKinki Kidsの録音で一緒だったらしいが、随分前のことなので失礼ながら思い出せなかった。プロデューサーは少し年配の方で、トゥーツ・シルマンスのCM録音をベルギーでやったことがあるそうだ。
そんな会話をしながら、僕は狭い録音ブースに入った。エンジニアはベテランのいかにも職人風の方。「希望のマイクはありますか?」と僕に尋ねたので、フォーク調でハンドマイクではないので、「87あたりですかね」と答える。エンジニア氏「無難な選択ですね」と。「一番好きなマイクはノイマンの67ですが」と僕。で「オケを聴いたらルーミーでラフに唄っているので、温かい雰囲気のマイクかな」と付け足した。こんなのどう?とRE-21を出して来た。これは"We Are The World"で一躍有名になったダイナミックマイクロフォン。なので、コンデンサーマイクと違って思いっきり僕のハーモニカに近くセッティングされる。普通のSure SM#57や58は音質は硬く、Lowが出にくいが、RE-21はLowがよく出てくれるとのこと。一応、南さんが録音したサンプルのハーモニカを聴き、それに沿って録音して行くことになった。僕はいつもハーモニカホルダーを持参している。きっと、今回は歌手がギターを弾きながらハープも吹く設定と思ったのでホルダーを付けて吹くことにした。
間奏は8 小節で歌を挟んで2回出てくる。そして最後に後奏が8小節。コード進行もよくあるシンプルなもの。一回目の間奏はサンプルに近いもの、2回目はそれを崩したもの。で、その2カ所から録音開始。南さんはディテールにこだわるアレンジャーみたいで注文が多く、テーク数がみるみる増えて行く。そのうち、2回目はブルージーな感じというのでセカンドポジションでやるが僕としては明らかに一回目と2回目は違う奏者が吹いているみたいで違和感がある。結局間奏は3テークを録った。で、後奏に入る。今度は一回目の間奏と同じで良いですと来た。こういう場合は一曲分通して流しながらスルーで録って行けば良いのにと思う。ここで、ベテランプロデューサーがタイミング良く出て来て、スルーで録りましょうと言ってくれた。これでワンテークでOK。ここまで一時間。そして、僕は慌てて次の仕事である、太田裕美さんのリハーサル会場に向かった。
へとへとの一日だった。

投稿日 : 2007年01月31日 18:46 個別ページ表示

高田渡生誕会

生誕会が無事終わり今日はぐったりしている。疲れた。昼間から風呂に入ったりして休んだがなかなか疲れはとれない。昨日は11時入りでリハーサル、本番までかなり時間はあるのだが、いとうたかお君(ペケ)、蓮君、イサト氏、南こうせつ氏とサポートがあったので待ち時間の調節が上手く出来なかったからか。いとう君も蓮君も出番前はソデで緊張していた。そりゃそうだ、ペケは一曲しか唄わないからそうとうの集中力がいる。ソデで僕に「演歌の人ってテレビなんかで一曲しか唄わないよね、すごいな」と。ほんとまじめなひとである。蓮君は渡の遺児である。プレッシャーはある。楽屋では仕事の悩みなんか話していた。今やっている自分の音楽をそのままやってしまうと今日のお客さんにはちょっとね、と。ペケもソデで見ていて「ウーン?」と。でも、渡のファンや吉祥寺のフォークシーンでは受けないかもしれないけど、それでも良いのではないか。好きなようにやりたいことやってみた方が良いとおじさんは思う。僕はこの日、昨年亡くなった若林純夫君の持ち歌であった「サンフランシスコ湾ブルース」を唄わせてもらった。この曲は武蔵野たんぽぽ団で彼が唄っていたもの。雑学博士でモノにもこだわりFOXの傘なんか所有していた洒落ものである。僕が大阪から吉祥寺のアーリーハウスに引っ越して間もない頃、たんぽぽ団がもめていて若林君が僕らのうちに来てはよく愚痴をこぼしていたのを憶えている。その後、解散し彼はソロで唄っていたがフォークブームも去り時代の流れは変わっていく。その後、僕は若林君が渋谷のPARCOの鞄屋さんの店員さんをやっていることを知り会いに行ったことがあるがそれから音信は途絶えた。山口県に移ったらしいとは最近になってから知った。で、体調も悪く生活も大変らしいのも。渡氏やシバ君も山口で会っていたらしく、晩年にはもう一度歌いたいと意欲的だったらしい。今頃ふたりでああだこうだとやかましく議論しながらウディ・ガスリーを唄っているかも知れない。

投稿日 : 2007年01月29日 18:45 個別ページ表示

高田 蓮くん

「高田渡生誕会」が吉祥寺で行われる。 自分ももちろん参加する。日にちが迫って来たので資料を準備していると、渡氏の息子である高田蓮くんから電話があり「当日僕のサポートをお願いしたい」と。音資料を送ってもらえるのでメールアドレスを教えた。 そして、しばらくするとパソコンにmp3ファイル2曲が届いた。僕もよく利用するのだが便利になったものだ。早速、昨年購入したMBOXを経由させBOSE でモニターしたらこれがなかなか良い音。そして、蓮くんは良い音楽家になったもんだと感心した。中でも親父が唄っていた「私の青空」は、親とはまったくちがうアプローチで見事に唄いこなしている。後で聞いたら最近CDを作ったのだそうだ。細野晴臣氏がプロデュース。なるほどさすが細野さんだ。声は思いっきりデフォルメされ、おやじが聴いたらびっくりするであろうくらいのアレンジ。蓮くんが音楽の道を目指そうとした頃、渡氏が僕に「蓮が高田渡を継ぎたいって言うんだよ」と心配そうに話してくれた。でも本心は嬉しかったんだな。そんなこと思い出しながら聴いてると何だかじーんとしてきた。高田渡の本質を蓮くんはしっかり受け止めているのだ。

このところ最近取り寄せたCD「青春歌年鑑 50年代総集編」を聴いている。戦後の日本のうたをもう一度検証してみたくなり、他にもたくさんネットで注文していて到着待ちである。特に外来のうたを日本語で唄っている「ボタンとリボン」や、支那風の「イエライシャン」などに興味がある。こんな傾向は昔から自分にはあって好きである。今聴くとまた新たな発見と妙に新鮮に聴こえてくるものだ。

投稿日 : 2007年01月26日 18:44 個別ページ表示

タンバ

時々ライブでハーモニカ以外に演奏する楽器としてタンバというタンバリンがある。これは30センチ径のタンバリンの形をしているが鈴の部分が付いていない。正式にはチューナブルタンブリンといって教育用楽器だそうで体育の授業で使用されているらしい。タンバと名付けたのは自分である。それは1967年か68年か記憶は怪しい、大阪サンケイホールでアメリカの女性フォークシンガーのコンサートを観に行った時のこと。演奏の途中で伴奏のギタリストが大きなハンドドラムを取り出し、叩き出したのだが、その音がとても印象的であんなことやってみたいと思っていた。そのハンドドラムはインディアンの太鼓だとその頃思い込んでいたが、今にして思うとアイランドのバゥロンだったかも知れない。確か皮は本皮であった。それを手で叩いていたが・・。当時、フォークシンガーの中川五郎さんのバックで、とある地方のコンサートに出かけた。僕はその頃ウッドベースを弾いていて、曲に寄ってブルースハープも吹いていた。そしてタンバリンも持参していた。そのタンバリンは先のジュディ・コリンズ・コンサートの影響を受け、自宅にあった皮のチューニングができるタンバリンから鈴の部分を取払っていたものである。僕はリハーサルの時にマイクの前で何気に叩いてみた。そして今度は皮の張りを緩めてもう一度叩いてみた。そうすると聴いたことの無い重低音が響き、左手親指で皮にテンションを加えると、音色が変わり独特のサウンドが作れることを発見した。周りのミュージシャンもびっくり。楽器の呼び名もタンバリンからリン(鈴)を取ったのでタンバと付けた。要するに僕は新しい奏法を考えた訳だ。以来、グループ「愚」、ロックキャンディーズのステージ等で使用する。71年にカナダのバンクーバーのブリティッシュコロンビア大学にてロックキャンディーズのコンサートがあった。終了後会場に来ていたあるミュージシャンが僕の所に来て、それは何か電気的な操作をしているのかと尋ねられた。「実はすごい?テクノロジーつこうてんねん」と冗談でいったが(もちろん通訳付き)、彼は本気で信じ込んでいたのが可笑しかった。そのカナダ、メキシコ、アメリカツァーに同行していた矢沢きんちゃんというドラマーがいて彼に叩き方を教えた。僕は谷村チンペイとはその頃からそりが合わず、このツァーの時彼はプロとしてデビューする決心をしていたので、気の合うきんちゃんが彼の心の中にメンバーとして頭に入っていたと思う。帰国後堀内孝雄を加えてアリスが出来た。僕は、その後いろんなミュージシャンのステージでこのタンバを叩いた。一番印象的なのはヨージ・ヤマモト・パリコレクションの音楽で、バスハーモニカとタンバがバリの会場で大音響で使われたこと。この録音はCDにもなったが実は僕が一番思い入れのあるCDでもある。ハーモニカと打楽器。
小学校の頃から僕は両方やっていた。本質は何も変わらない。

投稿日 : 2007年01月14日 18:42 個別ページ表示

高橋李枝コンサート

昨日、群馬で活動する女性シンガー高橋李枝さんのデビューコンサートに参加した。彼女はまだ20代。群馬安中にある「サウンドタムスタジオ」のTさんが面倒観ている。ここは坂庭省吾さんが生前よく通ったスタジオでもある。そんなわけで僕も何度かここで録音している。去年彼女のCD に参加したあと、今度、地元でお披露目コンサートを開くので手伝って欲しいと要請があり、僕はまとめ役に西海君を指名した。アコースティックなサウンドにしたいとの事で、始めはベースもと考えたが、小さなキャパだし、少数精鋭ということでギター、ピアノ、そしてなんでもやの自分。そして西海君が最近知り合ったばかりという五十嵐さんという若いピアニストの3人に決まった。年末から年始にかけて2回のリハーサルを都内でおこなった。みっちり入念なリハーサルで彼女の意気込みが伝わってくる。
そして昨日、高崎シティーギャラリーコアホールでコンサートを迎えた。
李枝さんは初めてとは思えないくらい安定した歌唱を披露してくれた。おもわず「度胸あんなぁ」とつぶやいてしまうほど。しかし、いくら歌唱力があっても楽曲に恵まれないとな。 始ったばかりのキャリアだからこれから何とでもなるだろう。 これから新しい未知の世界を知って欲しい。その中には素晴らしい才能を持った人たちもいっぱいる。 自分と同じ世代の中に同じような考えや、信じられないほどの感受性を持つ人に出会ったりすると思う。
そんなことを思いながら、昨日カホンを蹴り続けた右足とタンバを叩きすぎた指の痛さに年を感じる今日一日だった。

投稿日 : 2007年01月13日 18:41 個別ページ表示

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