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7月11日吉祥寺のマンダラ2にてライブが決定した。前からずっと、いつかはソロパフォーマンス
をやりたいと思っていた。よし、今回こそ、このマンダラ2がチャンスだと。しかし、ほんとに出来るのかたったひとりで・・・こんな不安を抱えながらなかなか日を押さえられなかった。
しかし、横浜でのアーリータイムスのライブの時に渡辺勝くんだと啓示が!
さかのぼれば、60年代後半大阪で悶々としていた頃、ナベさんは斉藤哲夫や岡林信康、そしてムーンライダースの前身である「はちみつぱい」などで大阪によく来てピアノを弾いていた。
僕はその時から彼の音楽に何か共感するものを感じていた。71年の夏、カナダ・アメリカ・メキシコ親善旅行へ行った。帰国後、24才の僕はこれからどうしようかと増々悶々とする毎日を送っていた。そんな中、難波にあるジャズ喫茶「バンビ」で東京から来ていた村上律とお茶していたら、「Earlyに入らんか」という誘いがあった。「ナベさんも誘ってるよ」というのだ。この時、ナベさんとなら何か新しくて面白い事できるかもと思った。それからすぐに東京に出て行く準備をはじめた。溜まり場だった難波の喫茶「ディラン」でこれからレンタカー借りて上京するが誰か便乗するやつおるか?と訊くと、ひとりチカモトという奴が名乗った。おチカである。こいつは後に「オリジナルラブ」のマネージメントで一発あてる奴だ。しかしケチである。
東京での生活が始った。有名なアーリーお化け屋敷での生活はアーリーのCDのなかに細かく記されている。メンバーみんなが唄い、楽器を持ち替えながら演奏する。僕はベースがメインで、珠にハーモニカ、歌をつくり唄っていた。貧乏だったが夢に溢れていた。その後アーリーはプロダクションに入りCBSソニーから一枚シングルを発表する。そして、これからLPというところで解散することに。原因はなんだろう。僕自身は覚めてしまっていた。フォークで有名な吉祥寺フォークが煮詰まって来ていたこともあったかも知れない。タンポポ団も内部はガタガタでひどかった。そんな中、情報や人の渦から逃げたくてこの狭山の米軍ハウスに向かったのだ。あれから何十年?今もこの狭山入間地方に住んでいる。アーリーはその後再結成している。こんなスタイルのバンド他には無い。ナベさんはほんと貫いている。
ナベさんこそアーリーそのものなんだと思う。アーリーの音楽は道ばたの雑草の花みたいだ。
けっしてメジャーにならない、いやなれない。ライブハウスならよい。しかし大きな華やかなステージに出たら恥ずかしがってすぐに萎れてしまうバンドなんだ。だから売れるわけがない。それでもうたう。誰かが僕らを見つけてくれる。道ばたに咲いている、みすぼらしく名も無い花を観ていう「君は何ていう花ですか?」名前なんかどうでもよいこと、ここが一番居心地がええのんよ。
7月11日のマンダラ2は「渡辺勝と松田ari幸一」二人のソロとコラボレーション。
二人でやるなんて、今までなんでやらなかったのかな・・・・・・