History #1 最初の音楽キャリア

 自分史だから生まれたところから始まるのが普通だけどそんなことしてたら大事なポイントを忘れてしまう。思い出したらすぐに書き留めていくことにした。
最初の音楽キャリアは1967年大阪の森ノ宮青少年会館小ホールから。
60年代初めアメリカのフォークムーブメントが盛んになり日本にも。
ギターをやり始めた頃PPMやオデッタなどをコピーしていた。
ある日突然ラジオから流れ出したLike a Rolling Stoneで一発でボブ・ディランに。
それから当時フォークソングなんて知られていない時代なので、ヤマハの月刊誌の投稿欄に同好の士求むを出した。
そしたら桃山学院大学生の谷村新司から連絡がきて彼のPP&Mスタイルのロックキャンディーズと知り合う。
そのうち相愛女子短大のフォークソングクラブとも知り合い、67年に初めてのコンサートを自分達で開催した。
自分もPPMのように三人でやっていたが未熟でその後続かなかった。
谷村のロックキャンディーズは当時からレベルが高かった。
67年はフォーククルセイダースの「帰ってきた酔っ払い」が大ヒット。
京都はこの頃から日本語のフォークでポップな雰囲気を持っていた。
杉田二郎のジローズや坂庭省吾のマヨネーズなどバンドが多彩でアイドル並みに人気があった。
68年になると神戸大阪京都のフォークが盛んになり谷村らとアマチュア主催のコンサートに参加したりしていた。この頃知り合ったのが新井潤子(山本潤子)、山本俊彦、後藤悦治郎だった。
いつか友人のお母さんが経営する心斎橋の喫茶店でロッキャンのメンバーや山本俊彦らと集まってはお客がいない時に練習したりしていて、客が来ると店の前の路上でもやった。
ある日路上で練習していたら通りかかった中年の男性から声がかかり「この近くでクラブをやっていて昼間君たちの音楽でアルバイトしないか」と誘われた。
それでレパートリーを持ち寄り俄かフォークグループでバイトした。
ロッキャンの島津ちづ子はまだ高校生だったので参加できず女性ボーカルは新井潤子だったが弾き語りもできるし歌はこの頃から絶品だった。
自分がベースを弾くようになったはこのクラブにハウスバンドが使っていたコントラバスがあったからだ。
それとなく弾いたコードのルート音が皆んなの弾くギターに混じった時の快感が堪らなかった。
それから心斎橋ヤマハのジャズベーススクールに通った。
一番安い4分の3サイズの鈴木製ベースも買った。
それからはハーモニカとベースでいろんなところへ行ってセッションさせてもらった。

そして次の出会いは中川砂人や中川五郎、高田渡、加川良など・・・・



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